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筆者は日頃、今どき珍しく新聞の配達サービスを利用しているという話は、時々にこちらのブログで触れているかと思います。そんな新聞に掲載されていたとある作家の方のコラムで、「近頃、『拗ね』ている人が多い気がする」というような趣旨の記事が掲載されておりました。同じ記事内では、「『拗』に『れる』と送ると『拗(こじ)れる』にもなる」とも書かれておりました。「なるほどなあ」と思うと同時に、今回の【思い立ったが吉日】ではそんなコラム記事に筆者が共感してしまう理由を考察してみたいと思います。
筆者もたいがい、「拗ねる」人だし、「拗れ」ている人だと自分でも思います。こうして書いた【思い立ったが吉日】の記事が読まれているかどうか、大手検索エンジンのサービスにラインナップされているアナリティクス機能でPVがいくつあるかをチェックして、少なければ「ちくしょー!」と白塗りの芸人の方のように心の中で叫んだりすることもあります。世に言う「かまってちゃん」「かまちょ」が、自分の形容詞としてとても似つかわしいなどと思うこともしばしばです。どうです、拗ねてるし、拗れてるでしょう(笑)。
しかしながら、自分のことは棚に上げて、他者に目を移してみると、そんな「かまってほしい」「相手にしてほしい」という願望は、誰にでもあるものではないかと感じることが多々あります。曇っている日なのにサングラスをかけている人だったり、派手目のファッションで身を包んでいる人だったり、そういう人を見かけると、筆者は「もしかしたらかまってほしいのかな」「ツッコんでほしいのかな」と心のどこかで思ってしまいます。いや、もちろん、曇っていても目を保護する必要があるからサングラスをかけているのかもしれませんし、派手目なファッションを着こなすことでご自身の心が満たされるのかもしれませんから、決してかまってほしかったり、ツッコんでほしかったりするわけではない、ということもあるのでしょう。なので、見知らぬ人を通りすがりにツッコむようなマネは筆者もさすがにすることはありません。当たり前ですが。
前述の新聞に掲載された作家の方が書かれたコラム記事には、「どう考えてもわざとぶつかってくるように歩いている人がいるような気がする」というような主旨の記述もありました。それもこのところ、増えてきた、というような。そんな内容に、筆者もなんとなく思い当たることがあったりする。筆者が住むエリアの近所にある商店街は、土日祝日はもちろん、平日でもわりと日中は人通りが多いのですが、筆者としてはなるべく邪魔にならないように歩こうとしているのだけれど、「それってぶつかりに来てるよね?」と感じるような歩行者の方がいたりする。スーパーマーケットで買い物をしていると、筆者としてはなるべく通路をふさがないようにしているつもりなのに、「どけ、どけ」と言わんばかりにズカズカとこちらに向かって来る来店客の方がいる。「それならば、こちらも」と、あまりまわりのことを考えずに歩いてやろうか、通ってやろうか、と心の中で思ってしまうこともしばしばです。
「いかんいかん、そんな風に『目には目を』となったら、泥仕合だ」。はたとそう思った時、筆者は深呼吸するようにしています。いろいろなものがスピードアップして、変化して、ついていかないといけないと、何かに追われているかのような日々を過ごしていると、呼吸が浅くなり、慌てて、思いもよらぬことに遭遇する。「かまってほしい」「相手にしてほしい」のは、みんな同じだ。こちらにできることは限られるけれど、少し歩きやすいように道を開けてみよう。そんな心持ちになるには、深呼吸が一番効果的だと筆者は思っております。
「かまってほしい」「相手にしてほしい」からと、拗ねたり、拗れたりすることなく、深呼吸をして、慌てず、お客様が望んでいることの一つひとつに丁寧にお応えしていく。私たちGFCは、それが結果として品質の高いサービスをお届けすることにつながっていくと信じて止みません。
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