こんにちは、みや-3です。ご無沙汰しております。約5年ぶりに、ブログを書かせていただきます。今回の話題は、久しぶりのブログだからではありませんが、懐かしい記憶を思い出させてくれた出来事について、触れてみたいと思います。
先日、私がふだん所属しているグループとは別のグループで、懇意にさせていただいているお取引先様との打ち合わせに出席させていただきました。「いずれ、みやーさんも関わることになるかもしれないから」ということで参加させてもらったのですが、そこで名刺交換をさせていただいた方が、私が社会人になりたての頃にご一緒させていただいた会社の方だったのです。懐かしい社名を目にして、若かりし頃のことが走馬灯のように思い出されました。
打ち合わせを終えてからも、その余韻が残っていたのでしょうか、一人でランチをしながら当時のことを思い返していました。
当時はまだ、プログラミングがメインの仕事だったなあ。手書きのフローチャート(当時はパワーポイントなんて使っていませんでした)から、原稿用紙(と言ってもわからない若い方もおられるのでしょうか)のような紙にプログラムを記入し、親会社の役員の方から承認印(なんとアナログでしょう)をもらう。その紙を持って、「パンチャー」と呼ばれる肩書きの人が集まる「タイピング専用室」なる部署へ行き、「このプログラムを入力してください」と依頼しました。「パンチャー」という職種があったことも、今となっては驚かれるのかもしれませんね。
「タイピング専用室」へ持っていったプログラムの書かれた紙も「手書き」なので、「パンチャー」さんたちの都合で、変数の名前が途中で変わってしまうなんてことも日常茶飯事でした。でき上がったプログラムを見て、「あれ、変数名が違う?」なんてことに動揺していたことも、若い頃の良き思い出です。
依頼をしてから半日ぐらいすると、プログラムが保存されたフロッピーディスク(と言っても知らない人が今や多いのでしょうね)が返ってきます。当時のフロッピーディスクの保存容量って、わずか1.25MB!そのフォルムをご存知の方ならお分かりでしょうが、8インチサイズのペラッペラな姿からすると、確かに容量はそんなものかも、などと当時は思ったものでした。今ならそれぐらいのフォルムであれば、何ギガとか、何テラとか、保存できるのでしょうね。
そのフロッピーディスクを、今度は「機械語」に変換するマシンがあるビルに持って行くのですが、その「機械語に変換」してもらうためには「予約」する必要があったのです。ああ、なんとアナログだったのでしょう。今考えるととても非効率に思えますが、これが当時は当たり前でした。今や「コピペ」なんて略されますが、「コピー・アンド・ペースト」すら画期的だった時代。振り返れば、時間がゆっくりと流れていたのだろうと思います。
自分もそんな昔話を思い出して、郷愁に浸るような年齢になったのだなあ、と思いますが、当時の経験があったからこそ今がある、とも思えます。今の若い世代の方々も、あと10年後、20年後には、今やっていることを振り返って「そんな時代もあったなあ」と思いながら、「だからこそ今の自分がある」と確信を持っていえるような、大切な時間を過ごしてもらいたいと思わずにはいられません。
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