【思い立ったが吉日】「優しさ」ってなんだろう。

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今回の【思い立ったが吉日】は、「優しさ」ってなんだろう、という話をしてみたいと思います。

ちょっと観念的な話になりますが、「優しい」とはどういうことなのか、をふと考えたりします。相手のことを慮って、本当のことは言わずにいる。それもまた「優しさ」のようには感じますが、本気で相手のことを思うのであれば、本当のことを言って厳しく接するというのが本来の「優しさ」ではないのか、とも思います。

先日、介護サービスの会社で送り迎えをしている方が、利用者の方を送迎している時、利用者の方のご自宅前で車を止め、利用者の方を車の中で待たせて家族の方を呼びに行こうとしたそうです。その際、車に鍵をかけて呼びに行ったのですが、家族の方はその様子を見て「うちのおばあちゃんを車の中に閉じ込めるなんてどういうつもりだ、それがおたくの介護サービスなのか」と怒鳴ってきたのだとか。その送迎担当の方は、もし車に鍵をかけずにいて利用者の方が勝手に外へ出てしまっては危ないから、という理由で車に鍵をかけていたのだそうです。だからその家族の方のあまりの勢いにカチンときたらしく、「そんな言い方するなら自分で面倒を見たらどうだ」と怒鳴り返してしまったのだそうです。

もちろん、そんな言い方をしてしまっては、介護サービスを提供する会社の社員としてはNGです。しかしながらその言い返した言葉の中には、ある種の真実があるのも間違いのないところかと思います。介護サービスの提供側と利用者の家族の方という関係性があるから、このやり取りは「ないわー」となるわけですが、これが普通の友人同士だったとしたら、むしろ言い返した方に「優しさ」があるのではないか、と思ってしまうのです。

友人や親族だとしても、「親しき仲にも礼儀あり」です。売り言葉に買い言葉的なやり取りは、不毛です。とはいえ、前述の利用者の家族の方が怒鳴ったのは、誰かにお願いして自分の親の面倒を見てもらっている、という認識がないからでしょう。そういう認識は持っておいた方がいい、と気づかせることを誰かがしなければ、いつまで経っても「自分の親の面倒を見てもらっている」ことに感謝することはないでしょう。そこに気づかせてあげるのも、「優しさ」ではないか、と思うのです。もちろん、その「気づかせ方」はいろいろと考え、工夫しなくてはいけないとは思いますが。

私自身、後輩に気づかされることがちょくちょくあります。その後輩は、私に苦言を呈したい時には必ず「後輩が偉そうに言うのも気が引けるけど」といったニュアンスの「枕詞」をつけて話し始めます。それは後輩からすれば、先輩に意見するのは気が引けるものでしょう。それでも苦言を呈そうとするのは、私に対する「優しさ」があるからだと思います。伝えたいことを、伝えたい人を見ながら、その人に伝わりやすいように伝える努力をするのは、人間であればなすべきことである、と私は思うのですがいかがでしょうか。

私たちGFCも、お客様とおつきあいをさせていただく中で、本当の意味で「優しさ」を感じていただけるようなコミュニケーションができるよう努力を続けたいと思います。伝わりやすいように伝える努力を、決して忘れず。

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