【思い立ったが吉日】新聞記者の素早い対応に学ぶこと、あり。

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今回の【思い立ったが吉日】は、大学時代のアルバイトで経験したことをまとめてみたいと思います。

私は大学時代、某大手新聞社の本社編集局でアルバイトをしておりました。このアルバイトのことは通称「原稿係」と呼ばれており、一言で言えば新聞づくりのお手伝いをする仕事でした。その「お手伝い」の内容は各部門によって違っていて、私が主についていたのは政治記事を扱う部門だったので、デスクと呼ばれる人たちのサポート業務が中心でした。具体的には、その日の朝夕刊に掲載したいという記事が記者クラブから送られてきて、その内容をチェックして出稿する作業をお手伝いする、というものでした。当時はまだインターネットなどは存在しておらず、携帯電話すらもの珍しい時代でしたので、原稿の送信手段は主にファックス。時には記者からかかってきた電話を受け、記者の話す内容を原稿用紙に書き留める、なんてこともありましたね。

そんなアルバイトをしている中で、普通の大学生ではまずできないであろう、さまざまな体験をしました。中でも印象に残っている体験の一つに、時間の経過によって起きる状況の変化に対応する記者の人たちの素早い動きを目の当たりにしたという体験があります。

ある時、主要先進国のトップの来日に合わせ、特別体制が組まれたことがありました。国会記者会館と本社に大勢の記者が詰め、刻一刻と入ってくる情報を記事に起こす準備がされていました。来日した先進国トップと日本の首相が会談し、晩餐会の様子がニュースで生中継されていたのですが、その中継を見ていた本社の人たちがざわつき始めました。どうやら先進国トップが晩餐会の最中に、倒れたということのようでした。これはヤバい、忙しくなる、と思い、私が身構えようとしていたら、私の横に置かれていたプリンターが動き出しました。そこには、記者の人が書いた「先進国トップ、晩餐会中に倒れる」と記された記事がありました。ざわつき始めてから、ものの数分のことでした。このスピード感、すげえな、と思ったのをよく覚えています。

またある時は、贈収賄の疑惑を持たれた元首相が国会で証人喚問を受けることになり、その質問に野党議員が立つことになっていました。その野党議員の方と記者の人たちが協力していたようで、記者の人たちが集めてきた情報を野党議員に提供し、それをもとに野党議員から元首相を追求してもらい、立場が危うくなったという記事を書こう、という段取りになっていたようでした。そしてそんな記事が、すでに「予定稿」として用意されていました。

ちなみに「予定稿」というのは、起きることがわかっている事実を先に記事として出稿しておき、その情報が解禁になった時点で記事が掲載になるようにしておくという仕組みです。そんな「予定稿」の中にはいわゆる「訃報」もあり、新聞社内では「死人(しびと)原稿」と通称されていました。

話がそれましたが、先の証人喚問の話に戻しましょう。野党議員の人と協力していた記者の人たちは本社の私が座っているすぐそばにあるテレビの前に陣取り、喚問の中継をじっくりと見ていました。ところがその野党議員の人は、記者の人たちが思っていたように元首相から話を引き出すことができず、ただただ記者の人たちから提供された情報をまるで演説のようにぶち上げるだけで終わってしまいました。その中継を見ていた記者の人たちの表情は次第に険しくなっていき、「おいおい、話が違うだろ」「元首相に話させなきゃ意味がないじゃないか」などとまくし立て、慌てて準備していた「予定稿」をボツにし、改めて「証人喚問、不発に終わる」という記事に書きなおし始めました。

その様子をつぶさに近くで見ていた私は、たかが20歳そこそこの若造でありながら、世の中はこんな風に動いていくものなんだ、と感心していたものです。こういう体験をしていると、今でもニュースを見る時にはその情報の背後には何があるのか、という視線を持ちながらその内容を聞いてしまいます。

私たちGFCも、状況の変化に素早い対応ができるような姿勢を常に持ち続けていたいと改めて思う次第です。それが必ずや、お客様の満足につながっていくという確信を私たちは持っています。

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