【思い立ったが吉日】「ステレオタイプ脅威」に陥らないようにしよう。

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「ステレオタイプ脅威」という言葉をご存知でしょうか。その名の通り、ステレオタイプにはまり込んでしまう脅威、といった意味合いになりますが、わかりやすいところで言えば「男の子なんだから」「女の子なんだから」と親から言われ続けると、「そうか、自分は男の子なんだから、こんなことはしちゃいけないんだ」とか「女の子なんだから、こうすべきだよね」といった考え方を自然とするようになってしまい、自分の行動を無意識のうちに制限してしまうこと、を指すようです。今回の【思い立ったが吉日】では、この「ステレオタイプ脅威」について考察してみたいと思います。

筆者のこれまでを振り返り、自分の体験の中での「ステレオタイプ脅威」と思われるものは何か、と思い返してみました。それで思いついたのは、「いい子でいよう」としがちだったことでしょうか。自分のことはなかなか自分ではわからないものではありますが、筆者が育った環境を振り返ると、筆者は末っ子長男であり、歳の離れた腹違いの姉に憧れがあり、嫉妬もあり、腹違いとは高校生になるまで知りませんでしたが、実母は実母ゆえに筆者を溺愛し、姉には厳しくあたる、それが筆者としては姉に申し訳ない気持ちもありながら、一方でどこかで「姉より褒められたい」という意識も強く、だから「いい子でいよう」という意識が強くなったのかな、などと思いが巡りました。

「ステレオタイプ脅威」の定義として、例えば親から「言われ続ける」ことで生じるものというような表現がされておりましたが、筆者の場合は「言われ続ける」のではなく、周りを取り巻く環境で生じたものと言えるのかもしれません。そういう意味では「ステレオタイプ脅威」とは少々、意味合いが異なるのかもしれませんが、筆者の感覚で言うと、そういった外部要因が及ぼす影響で「いい子でいよう」という気持ちが無意識のうちに身についてしまった、という「言い訳」をしたがるようになった、という感じです。

では、どうやったらそんな「言い訳」をしたがる自身の傾向を是正したらいいのか、と考えた時、取り組み始めたのは、そんな外的要因の影響で「いい子でいよう」としたがる自分を否定するのではなく、受け止め、受け入れ、「自分はそういうヤツなんだから」とある種、自身を俯瞰して見ることでした。そうすると、どんな場面で自分が「いい子でいよう」とするのか、がなんとなく理解できてきた気がします。

筆者がどんな場面で「いい子でいよう」とするかというと、概ね、誰かから、もしくは何かしらから、プレッシャーをかけられた場面です。そういう時に、筆者は「いい子でいよう」とするので、無難にかわそうとしがちです。なるべく、波風を立てたくない、と思うからなのでしょう。そんな場面に遭遇した際に、筆者は最近、「遠慮をしない」ことにしています。「いい子でいよう」と思うから、言いたいことは言わないのではなく、むしろ言う、とか。もともと空気を読まずに、自身としてはごく普通に疑問に思ったことを聞いたのに、相手の逆鱗に触れるみたいな場面がよくあって、筆者は心の中で「えーっ?」と叫ぶことがあったのですが、だったらそもそも、変な遠慮をしなけりゃいい、と最近は思うようになりました。こうした行動の変容によって、筆者的にはどこか自分に対する自信が生まれ、それによって他者へ優しく触れられるようになってきたような感覚があります。

私たちGFCも、お客様に「いい子でいよう」として遠慮をして、本来お客様が指摘を受けたいと思われていることを避けるようなことをして、せっかくのビジネスの推進・拡大・成長のチャンスを逸するようなことのないよう、言葉の使い方や伝え方に熟慮しながら、遠慮のないコミュニケーションが取れるよう、努力を積み重ねていきたいと考えております。

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