【思い立ったが吉日】親子関係という永遠のテーマから、客観視する力を考える。

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筆者も50歳を超え、祖父の気持ちや父の気持ちに想いを馳せる機会が増えました。なぜ祖父はどんな行動をしたのだろう、父はなぜ継がなかったのだろう、などと考えるわけですが、最近は祖父のことも、父のことも、なんだかわかるような気がしてきました。祖父はそれでも継がせたかったのだろうし、父はそんな祖父のやっていることを継いで同じことはしたくなかったのだろう。そんな二人の気持ちを慮ると、親子って、そんな関係になりがちなものなのだろうな、と一般化して考えられるような気がしてきます。 

筆者には25歳ほども歳の違う姉がおり、その息子、つまり筆者の甥っ子にあたる人物は、筆者と1歳しか年齢が違いません。そんな甥っ子の父親、姉の旦那様ですが、彼はかつてなかなかな人気を博したロックミュージカル劇団の座長を務めた人でした。そんな義兄が晩年、歌っている姿を筆者はよく観たものですが、確かに何かを感じさせてくれる魂のこもった歌を歌うなあ、と思ったものでした。そんな父親を持った筆者の甥っ子も、音楽の道を志し、父親ほどの成功は現段階では得られておりません。そりゃあ甥っ子からすれば、父親を越えられない、という屈辱感を感じざるを得ないのだろうと思いますし、そんな想いを甥っ子の姿から感じる機会はよくあります。これもまた、親子の「あるある」だよなあ、などと、身内の話ではありながら、まるで人ごとのように「なるほどなあ」と大きくうなずいてしまいます。

 「身内の話なのに、なぜそこまで人ごとでいられるのか」と反発を感じられる方もおられると思いますが、これは筆者の気質なのかもしれません。記憶をたどると、小さい頃からわりと自分の置かれている状況がなかなかの過酷さだったとしても、どこか客観的に見ている自分がいて、面白がっているところがありました。それを「不謹慎」と捉える方もおられるでしょうが、自らが置かれている状況を客観視することで、人の気持ちを察する力も備わってくるように思いますし、自分自身を理解する力も備わるような気がしています。 

私たちGFCも、自分たちが置かれている状況を客観視できるようになり、過大にも過小にも評価することなく、できることとできないことを理解し、できることは伸ばし、できないことはできるようにするためにどうすればいいかを考え、行動に移す、というPDCAを繰り返していこう、と決意を新たにしております。

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