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以前にもこのブログで触れたことがありますが、今回の【思い立ったが吉日】シリーズは筆者の父と祖父、それに叔父のことを振り返ってみたいと思います。
筆者の祖父は、岐阜の田舎町で町医者を営んでおりました。町医者ですので、近所のお宅へ往診にうかがいます。当然ながら、往診先の患者さんを看取ることもあったことでしょう。そんな中、「医者なのに、何故救えないんだ」と悩んだのだろうと思います。祖父は町医者を勤めながら出家をし、お坊さんも兼業するようになりました。
「医者と坊主を兼業するなんて、強欲だなあ」と思われた方も、おられるのではないでしょうか。そう思われるのも無理もない、と筆者も思いますが、親族のひいき目と言われることを承知の上でお伝えするとすれば、祖父は本気で悩んだ結果、兼業に行き着いたのだろう、と筆者は想像ができます。結果として、医師と僧侶を兼業したことで、地元の方々からは「病に伏せている間も、亡くなった後も、ずっと面倒を見てくれる」とばかりに、祖父は重宝がられ、なんなら尊敬すらされていた、と聞いています。
そんな祖父のもとに生まれたのが、筆者の父と、叔父になります。叔父は父の弟で、祖父の跡を継いで医師になった人。兄である筆者の父がなぜ継がなかったのか、とはこのブログをお読みのみなさんにとっては率直な疑問になるでしょうが、これは親父と息子の関係で「あるある」ではないかと思うのです。偉大な親父の後を継ぎ、同じ職業に就くのはできれば避けたい。どうあれ、親父と比較されるし、なんなら「親父さんの時はこうだったのに」と言われがち。そりゃあ、そんなの嫌だよなあ、と筆者は父への理解ができるわけです。実際のところ、筆者の父は医学部への進学を祖父に求められながら、勝手に外国語学部に進学し、祖父から「勘当」を言い渡された、と聞いています。
そして、祖父の後を継いだ叔父は、ずいぶんと長い間、筆者の父を恨むようなことを言っておりました。筆者の父が継いだら、自分はこんな目に会わなくて済んだのに、というような。しかしながらこれはこれで、筆者は理解できる、と思うわけです。おそらくは、祖父との比較をさんざんされたのだろう、と思います。それは恨み言の一つも言いたくなるだろう、と。また同時に、叔父としては筆者の父に「あんたが継がなかったから継いでやったんだ」という、マウントを取りたい気持ちもあったことでしょう。そんな気持ちも、理解できるような気がします。
そんな祖父と、父と、叔父と、筆者は血縁関係があります。だからこそ理解できることもあるでしょうし、なるほど、そんな親族がいるから今の自分がこんな風になっているんだ、と「血筋」を感じることもある。両親だったり、祖父母だったり、そんな存在は自分よりも遥かに年齢が上であり、どこか自分なんかよりも完璧だったりしていたのではないか、と感じることは誰しもあるかと思うのですが、よくよく見つめ直してみると、全然完璧ではないし、悩み、惑い、遠回りし、空回りしていたことがわかってくるし、そんな彼らを受け止めることで、自分自身を見つめ直し、向き合うことにもなるのではないか、と思う今日この頃です。
私たちGFCも、なぜ今GFCがこんな存在になっているのか、をよくよく見つめ直し、これから先にどんな存在になっていけばいいのか、をみんなで考え、形にできるようにしていきたい、と決意を新たにしている次第です。
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