【思い立ったが吉日】「介護」に必要な、みんなが幸せになる「嘘」について。

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ちょくちょく、大手新聞社の記事をサイトでチェックしているのですが、そんな中に「介護」に関する記事がありました。読みながら、2008年に亡くなった筆者の母親の介護のことを思い出しました。今回の【思い立ったが吉日】は、「介護」に関する雑感を記してみたいと思います。

その記事は、自身の母親の受ける介護サービスの内容と、そのサービスを提供するスタッフの働きぶりについて言及されていました。その中で印象に残ったのは、宿泊型の介護施設で夜も更けた頃、認知症の進んだ利用者の方が「もう家に帰らなくちゃ」と言い、帰る準備を始めた時、スタッフの方が「今日はもう遅いから、泊まっていけばいい」と返した、という内容でした。「そんなの悪いから、お金払わなきゃ」と利用者の方が言うと、「もういただいています」とスタッフの方が返した、と。すると利用者の方は、納得されたようで、部屋に戻って眠りについたのだそうです。

この利用者の方とスタッフの方のやり取りを、読者のみなさんはどう感じられるでしょうか。もしかすると、介護の経験がない方は「スタッフは利用者に嘘をついているじゃないか」という感想をお持ちになるかもしれません。しかしながら、かつて母親の介護を経験したことのある筆者はむしろ、スタッフの方の対応に感心してしまった次第です。なぜかというと、スタッフの方が「嘘をついた」とするならば、その「嘘」は利用者の方にも、そのご家族の方にも、そしてスタッフの方にも、介護施設全体にとっても、全てにとって害のない、いや、むしろ全てが幸せになる「嘘」のように感じられたから、です。                       

かつて、筆者が母親の介護にあたっていた頃を振り返ると、認知症の症状があった母親が幸せになるような「嘘」をつけていなかったな、と思います。認知症の症状も人によるとは思いますが、概ね、今、置かれている状況を把握できていないであるとか、ついさっきの出来事を覚えていられないとか、そんな症状があることが多いのではないか、と思われます。そんな症状のある母親に、「さっき自分でそう言ったじゃない」などと、正論で向き合ったとしても、言われた方は困惑してしまいます。実際、母親はそんなリアクションをしていたような覚えもあります。そんなシーンを振り返り、認知症の症状が出ている母親の気持ちに寄り添えていたか、と自分に問いかけると、寄り添えてはいなかったなあ、と反省しきりになってしまいます。

一般的には、「嘘」はよくありません。しかしながら、「嘘も方便」という言葉もあります。全ての人に害がなく、むしろ全ての人が幸せになるのなら、上手に「嘘」をつく必要もあるのではないでしょうか。このブログをお読みになっているみなさんは、どう思われますか。

ちなみに私たちGFCは、「嘘」のないようにお客様に寄り添った商品やサービスをお届けできるよう、心がけています。もし私たちが「寄り添う」ことに力が入り過ぎているように見受けられ、「嘘じゃないの?」と感じることがございましたら、率直にそうお伝え下さい。「嘘」はないことを、きちんとご理解いただけるよう努力をいたします。

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