【思い立ったが吉日】「変化」に対応・適応するにはどうすべきか。

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今回の【思い立ったが吉日】は、「変化」に対応したり、適応したりするにはどうしたらいいのか、という話をしてみたいと思います。

以前にもこちらのブログで、まもなく50歳を迎えようとしている私と同世代、もしくは少し上の世代を称して「バブル期を忘れられない人たち」といった表現をさせてもらったことがあります。2019年現在、50歳代の方々は、バブル期と言われる1980年代後半に社会人として若手〜中堅を担った方々であり、その後部課長クラスとなった時代には、バブル期の考え方ややり方、常識などがどんどん通用しなくなり、今では戸惑いを隠せぬまま、定年までのあと残り数年をやり過ごそうとしているような人の多い世代である、と私は勝手に定義しています。

そんな方々と出会う機会が増えているなあ、という印象をこのところ強く持っているわけですが、そういった方々と遭遇するたび「どうして『変化』を受け入れられないのだろうなあ」と、つくづく思います。そしてそのたび、「どうして自分はそんな方々の気持ちを理解できないのだろうなあ」という反省も一緒にしています。なぜなら、他者を受け入れることや、他者を受け止めることこそが、何事においても「解決」を導く手がかりになる、ということは理解しているからです。

では、そんな「バブル期を忘れられない人たち」はなぜ、「変化」を受け入れられないのかを考えてみます。一言で言えば、「人間だから」なのだろう、と思います。人間とは、怠けたい生き物であると、自分を振り返ってもつくづく思います。できるだけ、現状を変えることなく、粛々と生き延びられるものなら生き延びていたい。そう考えるのが人間の「性(さが)」である、というのは紛れもない事実でしょう。そう考えれば、あと残りわずかな会社員生活を、今までと大きな変化もなく、粛々と過ごせるのであれば過ごしたい、逃げ切りたい、と考えるのも仕方がないのだろうと思う次第です。

しかしながら一方で、世の中はさまざまな「変化」にさらされているというのも間違いのないことかと思います。特にこれからの世の中を担う若い人たちにとっては、そんな「変化」に対応し、適応することが求められる。そして私よりも若い世代で現在活躍していたり、成果を上げていたりする人たちに遭遇するたび、自分たちよりも上の世代から何らかの示唆を受けているというよりも、自分たち自身が先に気づいて、自ら「変化」への対応や適応をしているという印象を受けることが多いです。

こんな書き方をして、気分を害された方がおられたら、申し訳ありません。そんな方はきっと、自身が私の言う「バブル期を忘れられない人たち」に適合していると感じる部分があるからこそ、気分を害されるのだろうとお察しします。しかしながら、私は思います。そんな気分を害された方であればなおさら、これを機に「変化」への対応や適応を優れた若者たちから学びを得て、自ら「変化」への対応や適応を促し、若い世代の人たちの模範になれるよう努力を続けてみてはいかがでしょうか。

こんなことを書きながら、私たちGFCも、「変化」に対応したり、適応したりする術をさまざまな機会から学び、お客様により時代に即した商品やサービスが提供できる会社として支持されるよう、「変化」していきたいと決意を新たにする今日この頃です。

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