【思い立ったが吉日】余白やのびしろは、あった方がいい。

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今回の【思い立ったが吉日】は、余白とのびしろを持たせた方がいい、という話をしてみたいと思います。

昭和生まれの私としては、どこかのテレビのインタビューで「昭和、平成、令和と三つの元号をまたいで生きていると思うと、ずいぶん歳を取ったなあと感じる」と答えていた人に、とても共感してしまう次第です。そんな三つの元号をわたってきた私としては、前回の元号が変わった際に「システムの改変が大変」という話題が巷を席巻したのをリアルタイムに覚えているわけです。その当時からすると、今の時代はシステムを支えている技術や言語などは大きく進化しているわけですし、今回は前回と違って準備期間もある程度は取れていただろうと思われるので、当時よりはスムーズに元号の変更にも対応できるのではないか、と思っていたわけですが、実際にシステムに携わっている人たちはどう感じられたのでしょうか。

システム開発に携わっている方にとっては「あるある」な話かと思いますが、先を見越してシステム開発するのと、そうでないのとでは、かかるコストが変わってきます。それを理解してくれている人がクライアントのシステム担当者であれば、話はスムーズだったりするのですが、そのあたりがよくわからなくて、目先のコストばかりを気にしてしまう人が担当者だったりすると、だいたいSIerのエンジニアや営業は頭を抱えざるを得なくなります。そうなると、先を見越して開発を行った場合の初期段階でかかるコストが、結局は先を見越さずに開発した場合と比べてどれくらい得になるか、という数値を見せてプレゼンするしかなくなるのではないでしょうか。

そうした場合、どんな数値を見せたらいいのか、SIerのエンジニアや営業は頭を悩ます事になるでしょう。今回の改元に伴うシステムの改修を例に上げるとするなら、30年前の平成元年の段階で開発したシステムが、30年後に至るまでに改修費をどれくらい必要としたのかを試算してみる、というのが一つの指針になりそうな気がします。しかしながらそれはあくまで結果論であって、30年前の段階で現在のような技術の革新や進歩が想像できていたかというと、それは難しかったのではないか、と思われます。

果たしてこれから先、令和の時代にどんな技術の進化が起こるのか、ある程度の予測はできるでしょうが、予測不能な部分も往々にしてあるのだろう、と想像します。どんな世界でも、とりあえずは目先の成果や結果に目が行きがちになるものだとは思いますが、これからの時代はある程度の先を見越して、将来の設計をしながら、システムの開発も進めていくべきなのだろうと思います。そうでなければ、余白やのびしろを持たせながら、とりあえずやってみて、開発を進めるプロセスの中でその余白やのびしろをうまく利用しながら、柔軟に対応していくことが求められるのではないか、と思います。

私たちGFCも、先に「これはこうだ」と決めつけることなく、余白やのびしろを意識しながら物事に向き合い、お客様にとってより必要とされるような商品やサービスを生み出していきたい、と決意を新たにしている次第です。

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