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今回の【思い立ったが吉日】は、「段取り」について考えてみたいと思います。
先日、とあるテレビ番組で、かつて大人気を誇ったコンビを組む、一時期は「視聴率100%男」などと異名をとった御年70歳アッパーのコメディアンの方をメインに据えた、バラエティ特別番組を見ました。ちょうど私が子どもの頃が、まさにその異名をとった時期で、彼の名前が冠についた番組を全て網羅する勢いで見ていたのを記憶していますが、彼のコメディアンとしてのすごさが一体どういうものなのか、そこまで深く考察したことはありませんでした。
その番組は、彼のすごさを理解するのに十分なコンテンツに構成されていました。
前半は彼が組んでいたコンビのコントの映像を交えながら、彼らのコントがいかに面白くてすごかったか、というのをゲストに招かれたタレントさんたちと振り返っていく、というような内容でした。そのゲストの中には彼の「弟子」みたいな存在のタレントさんたちもおり、とにかく彼らのコントは「段取り」だけが設定されており、台本はなかった、という話で盛り上がっていました。
後半では、じゃあその彼らコンビのすごさを体感しよう、というような主旨で、ゲストのタレントさんたちも一緒に参加して、台本がなく「段取り」だけがあるコントをつくっていこう、という企画になっていました。しかもそのコントづくりを、観客の入っている劇場の舞台の上でやる、という企画。ゲストの中には今をときめくお笑い芸人や俳優さんたちがいましたが、彼らが舞台裏で自分たちの出を待っている様子は、緊張感が張り詰めピリピリとしたもの。「台本がない」ということで、大勢の観客がいる前で一体何をやらされるのか、彼から何を振られるのか、というのが一切わからない状態ですから、それはそれは「怖い」状況になっているわけです。
最初、大御所コメディアンの彼が登場し、舞台裏に控えているゲストたちを順に呼んで、あれやれ、これやれ、と振っていく。それに応えてゲストが何かしらをやるのですが、いちいち彼は「違う、こうだよ」と指摘する。それを受けて、じゃあこうか、と指摘に応えてまた何かやる。するとまた「違う違う」と、別のゲストを呼んで、またあれやれ、これやれ。「違う、こうだよ」とまた別のことを振り……、という繰り返し。彼が振る内容は、だいたいが不条理なことだったり、わけのわからないことだったりするので、結果的にゲストたちがやっていることは面白く、観客は笑ってしまう、というわけです。
結局、大御所コメディアンの彼がすごいのは、この「振り」の部分が長けている、ということだったんだと感じました。そしてその「振り」を受けた相手のやったことに対する「受け」もすごく、そこからさらに面白い「振り」ができる。だから台本がなくても、「段取り」だけあれば面白くできるのだろう、と。そして彼曰く、台本がなければアクシデントも起きやすいし、そのアクシデントは面白くするきっかけになるのだ、と。最近のお笑い芸人さんたちを見ていると、しっかりと台本をつくりこんで見せる漫才やコントが多い印象を受けますが、個人的には大御所コメディアンの彼のようなつくり方の方が、面白いコントができていくのではないか、という感想を持ちました。
関西で人気の喜劇集団も、大御所コメディアンの彼と似たようなつくり方をしているのも興味深いことです。その喜劇集団も、キャラクター設定と段取り、それに簡単な台本があるだけで、稽古は本番前の数十分というつくり方をしています。それで長年にわたって人気を集めているのですから、こっちの手法の方が面白いものがつくれるのではないか、とさらに思いを深めてしまいます。
逆に言えば、「段取り」をしっかりさせておくことが大事、ということでもあります。「段取り」さえしっかりしていれば、思わぬアクシデントがあったとしても、上手に対処することができる。私たちGFCの日々の仕事にも、役立つ教訓のように感じられる話です。「段取り」をきちんとして、思いがけないことが起きても臨機応変に対応できる柔軟性を持つことで、お客様により満足度の高いサービスが提供できるよう、心がけていきたいと改めて思いました。
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