【思い立ったが吉日】もう一度、「グローバル」を考える。

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今回の【思い立ったが吉日】は、以前もテーマとして取り上げましたが、再び「グローバル」について言及してみたいと思います。

はい、今回もそんなに大上段に構えた話ではありません。ちょいとスポーツに絡めて、「グローバル」を考えてみたい、という話です。

今年は4年に一度のスポーツの祭典が催される年だったこともあり、日本代表の選手たちが大いに活躍していた姿が記憶に新しいところかと思います。その中で私にとって印象的だったのが、卓球の各国代表に中国から帰化した選手がたくさんいた、ということです。

昔から卓球という競技において、中国は強豪として扱われていたかと思います。とはいえ、中国代表として競技に参加できる選手の枠には限りがあるわけで、母国の代表に選ばれなかった選手たちのうちで、どこかの国の代表として競技に参加できるのなら、と国籍を変更する人が現れるのはまあ、自然な流れかと思います。しかし、それにしてももとは中国籍だったと思われる選手が、本当に多い。ヨーロッパのチームなど、団体戦で3人の選手が出場できるうち、2人がそうと思われる選手になっているところも少なくありませんでした。「中国って、どれだけ卓球の選手層が厚かったんだろう」と驚きを感じながら、私は試合の中継に目を奪われていました。

なんなら、日本の代表選手にも、そういう選手がいてもいいんじゃないか、などと思ったりもしました。しかしながらそういうことをすると、きっと相撲のように「日本出身の横綱の誕生が心待ちにされる」みたいなことを声高に叫ぶ人たちも現れてくるのだろうなあ、とも思います。個人的には、あまり狭い視野の中で留まることなく、いろんな価値観を取り込んで、その中から建設的に新しい価値観を築いていけばいいんじゃないか、と思ってしまうのですが、まあ純然たる日本代表という姿を望む気持ちもわからないではありません。

一方で、他の競技に目線を向けてみると、ここのところ日本人とどこかの国の人との間に生まれたと思われる日本代表の選手がずいぶんと増えてきた印象があります。苗字か名前のどちらかがカタカナだったり、あるいは見た目が明らかに日本人とはかけ離れていたり、といった選手たちが、これもまた明らかに日本人同士の間に生まれた子どもでは決して持つことができないような身体能力を持って、競技に臨んでいる。こういう選手たちが現れることで、それぞれの競技のレベルが底上げされてくるのだろうと素人ながらに思うわけですが、果たして「日本出身の横綱を……」と声高に叫ぶ方々は、こうした傾向に対してはどのようなご意見を持たれるものなのでしょうか。「彼らは日本出身だから」という声もあるでしょうし、「日本出身というからにはやっぱり」という声もあるのでしょう。意見は千差万別、いろいろあっていいとは思うのですが、そういったものすべてを認め合いながら、たとえば競技のレベルを高めていくとか、物事をよりよい方向に向けて進められるようにすることこそが、「グローバル」と呼べることなのではないか、と私には思えてなりません。

私たちGFCも、多様な価値観や考え方を許容できる懐の深い企業になるべく、いろいろなものに視線を向けて、知ろうとする探究心を忘れないようにいたいと決意を新たにしています。

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