【思い立ったが吉日】コロナは「見える化」する。

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今回の【思い立ったが吉日】は、表題の通り、コロナが「見える化」する、という話を書いてみたいと思います。あくまでも私見ですので、若干センシティブな表現があるかもしれませんが、ご容赦下さい。

いやはや、しかしながらあっという間に、私たちが置かれる環境は激変してしまいましたね。このブログをご覧の方の中にも「テレワーク」に勤しむ方も、少なくないのではないでしょうか。私たちGFCもご多分に漏れず、「テレワーク」主体の事業運営を進めているところです。そのあたりのことはまた、別稿で言及しようと思いますが、今回は「コロナが、見える化する」というテーマで書いてみたいと思います。

コロナが何を「見える化」するというのか。いろいろなものが見えてくる、と個人的には感じておりますが、まずは「人」が見えてくると思います。この「人」というのは、人の「本質」というか、「本音」というか、その人がふだんは口に出すことはないけれど、心の中で思っていること、のようなものです。現に報道でもありますが、コロナに感染した方のことを、ある地域では犯人探しのようにあげつらう、などということも起きています。不安に思う気持ちがそうさせる、という理解はできますが、もう少し思慮深く、他人を慮る気持ちがあれば、そんな行動には出ないものではないかと思いますが、まあこれは私見ということで。言い方は悪いですが、こういう非日常な状況が続くことで、ふだんは口にしない「本音」のようなものが露出することが増えているように思います。

「戦時中を思い起こさせる」という論も、メディアの中では語られたりもしているようです。戦争を体験されている方の人口は確実に少なくなっているにも関わらず、分かったようなことを言っている人がいるものだなあ、と斜に構えて感じてしまうところもありますが、そういう意味では私も間違いなく戦後生まれでして、実体験はもちろんありません。ですが、たまたま私の両親は父が大正13年生まれ、母が昭和3年生まれと、両親にとっては遅く生まれた子どもだったので、両親から戦争体験を同世代よりは多めに聞かされたのではないか、と思います。そんな追体験を踏まえて、緊急事態宣言下の今を見渡すと、「確かに」と思ってしまうところがあります。

「平和ボケ」という使い古された言葉で表現してしまえばそれまでのような気がしますが、いつまでも現状が続くとどこかで信じており、余計な変化を望んでいなかった方々が、慌てふためいているような気がしてなりません。そんな方々が、安心できる何かを求めて、誰かを攻撃したり、中傷したりする。逆に、これからの時代は変化するものだ、と平時から考えていた方々は、こういう事態になっても慌てることがない。この「慌てるか、慌てないか」が人の「本質」とか、「本音」にも結びつくものであり、ここには大きな差があるのではないか、と私は勝手に考えています。そして「コロナで見える化する」のは、この差のことではないか、と思っています。

私たちGFCも、当然ながら今の事態への対応に東奔西走しています。これから先がどうなるか、不透明な状況ではありますが、でき得る限り、慌てることなく、変化に柔軟な対応ができるよう心がけていきます。そしてお客様に向けて、不安を安心に変化させられるようなサポートができるような会社であり続けられるよう、精進を続けていきたいと思っています。

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