【思い立ったが吉日】年々「お正月感」が薄れていっている問題について。

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今回の【思い立ったが吉日】ではタイトルの通り、年を追うごとにお正月感が失われている気がする、という話題でいきたいと思います。

すっかり年が明けてから日が経ってしまいましたが、2019年の年末年始で私がやった「年末年始らしい」ことを、列記してみようと思います。

・熊手を買った
・鏡餅を用意した
・紅白歌合戦を見た
・お雑煮を食べた
・栗きんとんを食べた
・たつくりを食べた
・初詣をした

これをお読みのみなさんは、果たしてどれくらい年末年始らしいことをされているのでしょう。私はというと、子どもの頃から比べると、ずいぶんと年末年始らしいことが少なくなったように思います。家族でアメ横に買い物に行ってシャケを一本丸ごと買って帰ったとか、おせち料理は三段のお重でフルラインナップで出てきたとか、小さい頃の年末年始の思い出を振り返ってみると、いろいろ「年末年始らしいこと」をやっていたなあ、と感心すらしてしまいます。

そういえば、今の自宅にはこたつがありません。「年末年始らしい」とは言えないかもしれませんが、こたつに入ってみかんを食べる、というシチュエーションもしばらくやっていないなあ、と思いました。現在はいろいろあって一人暮らしをしているもので、やはり家族がいないとそんなシチュエーションにはなりづらいものなのかもしれないな、と思います。

しかしながら、「年末年始らしいこと」をしなくなってきたのは、私だけに限らないような気もします。もちろん、おせち料理の事前予約はコンビニだのファミレスだの、あちこちで宣伝されているし、初詣のメッカのようなお寺や神社には相変わらず大勢の参拝客が集まっていることでしょう。でも、私がまだ小さかった頃は、両親や祖父母がお正月の風習だとか文化だとかを少なからず親世代から継承していて、これといって意識してはいなかったであろうけれど、私たちにも伝えていってくれていたように思いますが、私たちが親世代になってそれをきちんと伝えられているかどうかでいうと、おぼつかないところが大いにあるように思えて仕方ありません。「それは時代の流れ」と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、もう少しだけ、私たちから子ども世代にお正月の風習や文化を伝えていってもいいのではないか、と思う今日この頃です。

私たちGFCも、上の世代から継承されてきたものはしっかりと受け止め、それがお客様にとってメリットがあるものであれば、それをきちんとお届けできるようにし、変えていった方がいいものならより良いものへと変化させられるように努力する、という姿勢を2019年も続けていきたいと決意を新たにしております。

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