【思い立ったが吉日】久しぶりに新聞、とってみた。

GFCブログへ、ようこそ!

今回の【思い立ったが吉日】はタイトル通り、新聞を久しぶりにとってみた体験について触れてみたいと思います。

最近は新聞をとらない人の方が多い、というような話をよく聞きます。統計的にはどうなのか、調べたこともないですが、何となくは新聞をとっているのはわりとご年配の方が多いのだろう、という想像はつきます。実際、私もかれこれ5年くらい、新聞をとらない日々を過ごしてきた次第です。つまりネットで情報を取得すれば事足りるという5年あまりを過ごしてきた、ということになります。

それならなぜ、改めて新聞をとってみようということになったのか。たまたま家のチャイムが鳴ってドアを開けたら新聞の勧誘員の人だった、というのもあります。押しの強さに負けてしまった、という自分の弱さを反省しながらも、久しぶりに新聞をとると昔と何が違っているのか、というのがわかりそうな気もしたので、好奇心に負けた、というのもあります。

とってみて最初に感じたのが、やはり折込チラシのラインナップがご年配の方を意識したものに集約されているなあ、という印象でした。不謹慎ではありますが、お墓のチラシや、長いこと住んだ家を明らかにターゲットとしたリフォームの案内チラシが多いように感じます。昔だったら、新築のマンションのチラシがずいぶんと多かった印象がありますが、これもまた時代の流れなのでしょう。

一方で、昔も今も変わらない折込チラシもあります。やはりスーパーのチラシは、いつの時代もしっかりと入っている。それに週末には求人情報のチラシが入っているのは、昔も今も変わりません。しかしながらそこにラインナップされている求人は、やはりご年配の方を意識したものが多いという印象はあります。

新聞そのものはどうか、というと、それほど昔と印象が違うということはありません。新聞の情報は大きく分けて、速報性に対応した情報と調査報道の情報の二つがある、とどこかで学んだような気がしますが、なんとなくではありますが昔に比べて後者の情報が多くなった印象は受けます。速報性についてはテレビにはかねてからかなわないと言われていましたし、今やネットが隆盛を極めているわけですから、情報のラインナップがそんな印象になるのも不思議なことではないようにも思います。

それと改めて新聞を読んでみて思うのが、やはりネットは自分が欲しい情報のみを取捨選択できてしまうけれど、新聞だとそれでは興味を持たなかったかもしれないような情報でも、読み進めていく中で目にすることがあり、しっかり読んでしまうという「発見する楽しさ」があるなあ、というところです。これは雑誌などでも言えることではありますが、そういう意味では新聞の存在意義はそこにあるのだろうなあ、などと思いを巡らせてしまいました。

「温故知新」というと大げさかもしれませんが、古いものの中にも新しい発見がある、ということを改めて気づかされた体験のように思います。私たちGFCも、なんでもかんでも新しいものを追い求めていこうという姿勢ではなく、古いものの中に新しいものへのヒントがあるのではないか、という視点を大事にしながら、日々の業務に臨んでいきたいと思う今日この頃です。

Pocket
このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを書く

名前
必須