【思い立ったが吉日】「感情的になる」のは人間だから。

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今回の【思い立ったが吉日】は、「感情的になる」のはなぜなのか、という話をして見たいと思います。

ずいぶんと昔、私が30代前半くらいだった頃でしょうか。仕事でクライアントから理不尽な要望をされたり、どう考えてもおかしいだろうという決定を下されたりした際に、真面目に「なんでだよ!」と内心怒っていたことがありました。そんな話を友人にプンスカしながら話したところ、その友人は「そんなに真面目に怒ることはないよ、仕事なんだから」と軽い感じで返してきました。その時は「軽く言うなあ」などと腑に落ちない感じでいたのを記憶していますが、今になってみると「確かにその通り」と思うようになっています。

どういうことかというと、理不尽な要望やおかしな決定というのは、あくまで仕事の上での話であって、決してこちらの人間性まで否定されたわけではない、という意味合いだと私はとらえています。「なんでだよ!」と怒る要因を紐解いていけば、それは自分を否定されたように感じたことによる感情的なものによるのであって、それが自分を否定されたわけではないと考えられるようになれば、感情的になる理由もなくなる、ということです。つまりこの「感情的になる」という行動を極力少なくできるようにコントロールできれば、世の中にあるいろいろな軋轢や摩擦といったものもずいぶんと回避できるようになるのではないか、と思ってしまう次第です。

一方で、「感情的になる」というのは人間の性である、というのも紛れもない事実であると思います。言ってみれば、「感情的になる」ことを否定してしまったら、極論、人間であることすら否定することになる、とも考えられます。そうなると人間である自分すら否定することになるわけで、そういう考え方は本末転倒である、ということも合わせて理解しておくべきだと私は考えています。

先日、各界の著名人が異色の顔合わせで対談する番組を見ていたところ、70代の写真家の女性と女優・映画監督・プロデューサーの肩書きを持つ女性が対談しておりました。そこで30代女性が「なんだか肩ひじ張りながらがんばってる気がする」みたいなことをおっしゃったところ、対する70代女性が「30代ってそんなもの。でも40代になると、そんなことやってるのがバカバカしくなっちゃうの」と、達観したコメントで返されておりました。なんかすげぇわかるなあ、と思いながら見入ってしまっていたのですが、その「肩ひじ張りながらがんばる」というのを前述の「感情的になる」ということと同義ととらえれば、まさにそういう期間というのはあって然るべきで、それを超えると気がつけば達観して、「何をがんばってたんだろう、バカバカしい」となるのがまた人間、ということなのかもしれません。

人間は「感情的になる」ものだということを受け入れることで、「感情的になる」自分を制御することができるようになる。それを私は「成長」と考えているのですが、これはきっと人間、死ぬまでその葛藤と闘いながら生きていくことで、死ぬまで成長できるものなのかもしれない、とも考えています。

私たちGFCも、自分たちが今できること、できないことをきちんと受け止め、だからこそできる「成長」を続けることで、お客様から支持され、選ばれるようなサービスを確立していきたい、と決意を新たにしているところです。

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