【思い立ったが吉日】「お家騒動」の源泉にあるもの。

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今回の【思い立ったが吉日】は、ちまたをにぎわす「お家騒動」の話について、触れてみたいと思います。

「人の不幸は蜜の味」なんて言葉もありますし、「隣りの芝は青い」なんて言葉もあります。人間というものは、当事者ではない他人の家の騒ぎについては聞き耳を立て、噂話で盛り上がるというのは「性」なのかもしれません。個人的には下世話な話はあまり好きではありませんが、人間というものはそういうもの、ということは頭の中で理解はしているつもりです。そしてそんな姿が垣間見えたりすると、「人間臭いなあ」と感じてしまうのもまた、人間としての自然な感情だという気もします。

いつぞや、ありましたね、大きな家具店のチェーンで親子ゲンカのような騒ぎが。会社というのは「法人」というだけあって、すでに「個人」とは別の人格を持っているようなものでありますし、その別人格である「法人」は「個人」の好き嫌いだけで左右されてはいけないもののような気もします。だって「法人」には、そこで従業員として雇用されて働く人たちがいるわけですから、その人たちが特定の「個人」の意向によって振り回されるということは、あってはならないのではないかと私は思ってしまいます。ゆえに、前述の大きな家具店チェーンの例でいうと、きっと親子ゲンカに多くの従業員の人たちが振り回されたのだろうなあ、とシンパシーを感じます。一方で、マスコミやメディアを巻き込んだ大騒ぎにまで親子ゲンカが大きくなってしまったという事象に対しては、突っ込みどころ満載のお笑いのネタのようにも感じてしまいます。

先日も、大物アイドルグループが解散する、なんて言う話題がありましたね。その詳しい背景についてはわざわざ取材をしたわけではないのでよくわかりませんが、どうもそれの根底にあるのは、アイドルグループが所属するプロダクションがオーナー企業であり、そのオーナー一族が自分たちの利権を守るために起こした騒ぎだ、ということのようです。21世紀になってもう10数年が経つというのに、なんだか「昭和」な匂いを感じさせる話題ではありましたが、「公私」という言葉があるように、公のものと私有のものとをどのラインで線引きするか、というのをきちんと考えて行動しないと、側から見るとすごく下品な感じに映るものだと肝に命じなければいけない事象だったのではないか、と思います。

「お家騒動」に発展する場合というのは、大ざっぱに言って莫大な財産があって、それを誰のものかと争うことがベースにあり、そこに私利私欲が入り込んでくることで、ややこしい話になるものだ、という印象があります。振り返ってみると、私の父親はいろいろと家族に対して問題を残していった人ではありましたが、財産と言うべきものを一切残すことがなかったので、「お家騒動」のようになる要素は全くありませんでした。そういう意味では、とても潔く旅立った人であり、私としては彼に対してリスペクトを感じる部分でもあります。

何事においても、自分の利益だけを考えた行動や言動は、ろくな結果を導かないものだと感じます。私たちGFCも、常に自分たちの利益だけでなく、私たちに関わりを持つ多くの人たち(これを横文字でいうとステークホルダーというようですが)が利益を得られるような行動や言動を心がけていきたい、と改めて思う次第です。

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