【思い立ったが吉日】高校時代の青い思い出。その1

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今回の【思い立ったが吉日】は、高校時代の思い出について語ってみようと思います。

最近、プチ同窓会というのをちょいちょい開いたりしています。それというのも、実名で登録するのが原則になっているSNSで、小中高の友人を発見して、友だち申請して、という流れで何十年ぶりかの再会を果たす、ということがわりと頻繁に起こるから。何十年かぶりに会ってみると、不思議と当時の記憶が蘇ってくるのが面白く感じています。

このブログをご覧になっている方の高校時代は、どれくらい前の話になるでしょうか。まだお若い方であれば、つい最近のことで、それほど感慨深いものではないのかもしれません。私のように40代も半ばになってくると、もうかれこれ30年近くも前の話になるわけで、もう「懐かしい!」という一言で語り尽くせないほど懐かしさにあふれてしまうわけです。

当時は、バブル黎明期。素人の女の子が集まるアイドル集団がものすごく人気を博し、もうまもなくバンドブームがやってくる、という80年代真っ盛りの時代でありました。そんな中、私が通っていた高校はとてつもなく偏差値の低い学校で、もう他にどこにも行くところがない、みたいな人たちが集まってきていたようなところでした。そして極めつけは、「校則がない」ということ。厳密にはあるのですが、たとえば制服などは「着用するのが望ましい」という表現になっており、ほとんどの生徒が私服で通うという高校でした。

そんな高校で、いわゆる部活は全国レベルに到達するようなものはほとんどなかったのですが、なぜか私が所属していた今でいうところの「軽音楽部」は、プロのミュージシャンを輩出したこともあり、一定の評価を得られていた部活でした。その部名は、なんと「ロック部」。なぜ「軽音楽部」ではなく「ロック部」だったかというと、ロック部は洋楽だけをやる部で、邦楽を専門にやる「フォーク部」というのが別にあったから、なのです。

この辺がすでに、高校生ぐらいの年の無駄に青いこだわり、という気がしなくもないですが。

偏差値が低く、校則もゆるゆるな高校ですから、「ロック部」に所属する人たちも見事に見た目から「ロック」でした。当時の欧米で活躍していたヘヴィメタルバンドのメンバーの人たちのように、髪の毛がこれでもかというくらいに強いソバージュで巻き巻きになっていたり、ものすごいヒールの高いロンドンブーツを履いていたりする先輩たちがたくさんいて、私は正直ビビっていました。そんな先輩たちが、体育の授業になるとロンドンブーツを脱ぐものですから、急に背が低くなるのを見て「先輩、背、低っ!」とは当時の私は突っ込んだりできなかったのをよく覚えています。

今でこそ、そんな時代を客観的に振り返ることができますが、当時は私も「高校生の無駄に青いこだわり」を持っていたのを思い出します。

私も「ロック部」に所属し、バンドを組んでいたのですが、そのバンドでやるコピーの曲は、「ひと昔前のハードロックと言われていたブリティッシュ・バンドの曲しかやらない」と決めていました。今から考えると、「ブリティッシュ・バンド」というのはずいぶんと大きな括りだと思います。古いイギリスのバンドの曲しかやらない、というこだわりを持ってはいたのですが、ひと世代上の人たちからは「いろんなバンドの曲をやるなんて節操がない」と受け取られていました。今は「なるほど、確かに」と思えますが、当時は「そんなこたぁねえ、俺らは俺らなりのこだわりがあるんだ」などと、青いことを言っていたように記憶しています。

人は誰しも、「青い」頃の思い出があるものだと思います。今から思えば、何とくだらないことに力を入れていたんだとか、こだわっていたんだとか、思うようなことも少なくないでしょう。しかしながら、そんな時代があったからこそ今がある、というのも一つの真実ではないかと思います。

私たちGFCも、設立からもう間もなく20年という節目がやってきます。設立当初は青かった部分も大いにあったろうと思います。でもそんな頃があったから今があり、もうすぐ20年目というところまで歩んでこられたんだろうと思います。まだまだ「青い」ところもあるかとは思いますが、それもまた未来のGFCにつながるものだと考え、「青い」だけで終わらせないように前へ進んでいきたいと思う今日この頃です。

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